差別と区別と憐み
こんにちは。
遅ーいお昼を食べてコーヒー豆から真面目にコーヒー淹れて
新聞読んでる時がお気に入りの私です。
タイトルは過激なんですけれど、
これはきっとみんな違うと思うんであくまで私の思ってる言葉の解釈
「病気」と「自分」について
「差別」・・・病気を持っている人を異常者だと思っている人、
自分はノーマル、優位だと思っている人
「区別」・・・病気を知ってかかわりたくないので去って行った人
もしくはまれに病気だけ区別して人格は尊厳を持って扱ってくれる人
「憐み」・・・病気を知ったかぶり、私の現在の生活がみじめで
不幸なものだと思っている人
私、一番「差別」感じるのって医療関係者です。あと福祉の人。
あってはならない事なのに、慣れきっていて冷たい。または子どもをあやすような対応。
「区別」の解釈は難しくなってしまいましたが、
自分と私の立場を区別したい人は去りました。
数少ない友人は病気のでた性格の私とそうでない私を「区別」してるんじゃないのかな、と思うことがあります。
表に出ている人格に多少かかわる時期があるので、友人の対応を見ていると
そんな気がします。
病気全部含めて自分なのですが、これは他人から見ての解釈です。
「憐み」は・・・う~ん、切ないですねー。なんとなく経験ありますねー。
メールとか送り物とか気を使ってくれてるの分かるもんねー。
起きられなくて気分も安定しなくて働けない私は「憐み」の対象ですかねー。
「憐み」には「憐み」でなく「味方になる」で返したいですね・・・
今日のお昼は野菜マシマシの正麺にコショーをいっぱいかけて食べて
直送リンゴに
挽きたてコーヒーだったんだ
今の私には上等でしょ?
by min
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